「ことば」で紡ぐ、「写真」で紡ぐ

【つむぐ(紡ぐ】
いろいろの素材を組み合わせ(て、物語などの作品を作)る。織りなす。

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先日、きれいな細い三日月と金星・木星の共演写真がSNSであふれた。

今の時期、夕暮れに「宵の明星」こと金星とその少し上に「夜半の明星」こと木星が近くに並んでいてとても美しい。そこに期間限定で三日月が近くにいるのだ。

空に輝く星の中で一番明るいのは太陽で約ー26等星、次が満月の約ー12等星。その次が金星の約ー4等星、木星の約ー2等星。

数字が大きくなるほど星の光は淡くなる。マイナスになるほど明るくなる。そして、月・惑星たちは位置によって明るさが変わる。

ちなみに金星がとても明るいのは、近さだけでなく金星を覆う硫酸の雲が光をかなり反射するから、、、らしい。美の女神ヴィーナスの輝きはすごいんだぞってコトにしておこうと思う。

グラデーションの夕暮れでも、存在が分かるほど明るい金星と木星。そしてシャープに美しい三日月。

たくさんの人の写真がSNSであふれていた。

同じ空なのだけど、撮る人が違うと写真って本当に変わるんだなと改めて思う。技術的・機材的・撮影場所・時間・天気など色んな要素があるから、違いがでるのは当たり前。でも、その中にこめられた感情もまた人それぞれで、写真の中には感性もしっかり反映されているんだろうなと感じる。

写真は「情景の中に想いを紡ぐ」ものだと感じている。

逆に、エッセイなどの文章は「言葉で情景を伝えて想いを紡ぐ」ものなのだなと、エッセイについての講義をYoutubeで聞きながらふと思った。

自分の感性を紡ぐ手段が「文章」か「写真」か。ツールの違い。どちらにも良さがあり、どちらもうまくなりたいなと欲張りなことを思う。

文章で残したい想いもたくさんある。
素敵な文章を書いてみたい欲もある。

朝ドラで「短歌にしたら一瞬が、永遠になるんやな」というセリフがあった。短歌にしたときの情景を、何年たっても思い出せる・・・と。

写真も文章も、そのときの想いを永遠にできるなと思う。

月・金星・木星の共演は、これからもある。でも、そのときのお天気・みてる場所は違うかもしれない。同じ星たちであっても、同じ写真は撮れない。そのときの感性が紡がれているから。

人は変化する。環境も・心も。
変わらないと思うものでも、少しずつ変化しているのかもしれない。月も地球から少しずつ遠ざかっている。まったく同じということは、少ないのかもしれない。

だから「いま」をたくさん紡いでいきたい。

そしてたくさんの人の紡いだ文章や写真を見て、美しいモノにふれていたい。