銀閣寺に込められた足利義政の月へのこだわりは、まさに狂気とよぶのがふさわしい。
そんな文献を読んでしまったら、銀閣寺に行かねばなるまい。
目次
銀閣と月と義政
平安時代ぐらいまでは、月を直接みるのは良くないという風習があったらしい。
だから水に映る月のように間接的に愛でたりした。
そこから仏教の影響で、月を直接愛でることもし始めた。
特に「月が出る瞬間」は、特別だったのかなって思う。
月を愛でる日本人と、月を忌む日本人【日本人はいつから月が好きなの?】
何も知らないかった頃、銀閣寺は金閣寺を模して作ったけどお金がなくて銀が貼れなかったのかな?ぐらいにしか思っていなかったです。
でも足利義政がどんな思いで銀閣寺を建てたのか?
月に対する思いを、どんな風に込めたのか?
月と日本建築という本を読み、当時の人々の世界観に対する考察を知った。
「月」というキーワードを軸に置いたとき、銀閣寺を建てたときに込めた想いが想像以上に重い・・・
それはもはや「この寺ヤバイ寺だ・・・」と言っても過言ではないなと思うレベルだった。
応仁の乱が終わった後の京都は、途方もなく混乱し疲弊していたはず。
そんな中で、当時の最先端アーティスト・職人を集結させて造営したその場所は、見れば見るほど深いダークな存在感を感じたのです。
銀閣寺を散策する
中門までの道のりは細く長い生け垣の通路。
これから異世界に連れていかれるために通るべき道のよう。
よく見ると、すべての松の葉が上を向いている。
下を向いている葉は取り除いているということなのだけど、そういう作業って手作業じゃないとできないらしい。
これだけの迫力の松の葉の1枚1枚を丹念に取り除くというその手間のかけ方にまず驚く。
そしてそこを抜けた先に現れる、美しい日本庭園と写真では伝えられないオーラをたたえた「観音殿 銀閣」が姿を現す。
なんだろう、、、その建物だけダークな雰囲気をまとっている感じ。。。あの背に骸骨でも背負っているかのような圧倒的な雰囲気を一発目にくらいます。(個人的見解)
そして、白い砂の銀沙灘・向月台を目の前にする。
向月台は江戸時代に作られたものだと聞いていたけれど、銀沙灘だけでよかったんじゃ。。って正直思ってしまうほどによくわからないものだなと思う。
順路はいったん銀閣から遠ざかってほかの建物が集まっている側に向かう。
そこには「火灯窓(かとうまど)」という窓から庭を見ることができる。
これは、銀閣寺の二階の窓と同じ形。
銀閣の二階から外を見るとこんな感じなのかなって思うなどする。
そこから庭園を散策しつつ、展望所という名の高台に向かう。
木々の手入れが細かくいきわたっているのが伝わる。
造営にあたって、色んなお寺(金閣寺まで)の木や石で良いものがあれば奪って移植した記録が残っているそう。
奪って移植とはいえ、木を別のところから移して枯らさないためには相当の知識と技術が必要らしい。
そこまでして奪うとか執念だよね…
ルーペ持ってくればよかった、、、場所によって苔の種類も少し違っているようでした。
日当たりの良い場所に生えてた苔は、どうして日当たりに強いんだろう・・・
すべての木・草・苔の細部まで行き届いた手入れからなる圧倒的な美は言葉にできない。写真でも表現できないなと思う。
上から見下ろすと、観音殿の二階部分のほうが強調されて見える気がした。
そして二階だけ異国っぽいよねという話になった。
火灯窓が中国由来のものっていう部分もあるのかもしれない。
でも、左手に見える建物群と比べても何となく異質。窓のせいなのかな?
そうなってくると、非公開の内部が気になってしょうがなくなる。
月と銀閣寺
月は満ち欠けを繰り返す。
そこから再生のシンボルとも言われる。
月を愛でるのは、ただ美しいからだけではないのかもしれない。
人は永遠を望む生き物。そしてそれに執着してしまったとき、月に対する愛は狂気的なものに変わるのかもしれない。
銀閣寺をじっくりゆっくり眺め、空を見ていると。
月を直接愛でるのは、月が出てくる時だけなのかなって思った。
銀閣寺の縁側はから見える月の出。
縁側に座り、それを見上げた人はいるのだろうか。
(足利義政は完成前に亡くなったらしい)
南中すれば、水面にうつる月。
銀沙灘をレフ板のようにして取りこむ月の光。
銀沙灘が間接照明のように、ぼんやりと光っていたのだろうか。
庭園はどんな風にみえるのだろうか。
応仁の乱あとの混乱の時期、お寺の周りは倒れゆく民衆という地獄があったという。
町あかりもなく、まわりを違う意味の闇で囲まれた銀閣寺は月明かりに照らされて、どんな雰囲気を纏っていたのだろうか。
そんなことを考えると、銀閣寺に入った時のダークな雰囲気を纏ったような印象も何となく納得できる。
想いとイマジネーションを感じながら歩く銀閣寺
銀閣寺は夜間拝観をしていない。
内部に入ることもできない。
だからイマジネーションがとってもだいじ。
満月の夜は、どんな風になっているのだろう。
満点の星には興味がなかったのだろうか。
月待山から昇る月をイメージしてみる。
銀閣寺の1階と2階はあの世とこの世という世界観があるらしい。
再生と復活を繰り返す月と、それをあの世とこの世を行き来しながら見上げる人間。
東山文化は侘び寂びの世界というけれども、その世界観に月の存在はどれほど大きなものだったのだろう。
美意識だけで語れないものかもしれない。
そんなことを考えながら、空と庭園と建物とをじっくりと堪能した日でした。