今日は朝ツイコラム。。。的なメッセージ。
あ、こんにちは( ´ ▽ ` )ノ
「なんで私のこと理解してくれへんの?」と憤っちゃうことある。でも意外と自己評価と他人の自分への評価には隔たりがあって、それは自分が傷つきたくないゆえの自己「過大」評価だったりして。コワイけど客観的に自分を見てみるコトも必要なのかも。あ、おはようございます( ´ ▽ ` )ノ
— うららん (@uraright) October 28, 2012
このツイートからのお話。
人は自分が期待するほど、自分をみてくれないが、がっかりするほど見てなくはない。
出版界とIT界の寵児なお二人の対談本のタイトルです。
これって 本当にそうだなあって思いますし、未熟であるがゆえに、他人が自分を見てくれてるだろうっていう自意識とか、自分はこれぐらいイイ感じの評価もらってる気がするなあ〜っていう過大評価をしちゃうことがあります。
たしかに、誰も見てないってことはない。
でも、自分が思うほど、過剰なほど見てるかってーとそうじゃない。わかりやすいのがTwitter。
自分のつぶやきは100%見てくれているはずだっていう過信とか、タイムラインを見ているだけなんだけど、「そこにいる」感覚があるので、Twitterで雑談している人たちの会話に参加している錯覚をおこす。
タイムラインを見ているだけ。。。は、他の人からすればいないのと一緒。
自分が他人をみる時はどうだろう?
自分がタイムライン を見ている時、ツイートしていなフォロワーさんがタイムラインを見ていると思うだろうか??
フォロワーさんのツイートをすべて目に通して、リプライを返しまくっているのか??
そんなわけないよね。誰だって見落とすし、スルーするし、つぶやいてなければ、いないと感じるよね。
Twitterは、特に自分が思ってるほど他人はツイートをすべて真剣に目を通しているわけじゃない。真剣な発言、お知らせ、主義主張、そしてただの雑談。人によってTwitterの意味は違う。それを自分と同じはずだとか思ったらあかん。
でも、その中から生まれる「ていねいさ」があるから、Twitterから素敵な出会いが生まれたりもする。
そんなもんだ。
見えない分、かまってほしい欲もすごく大きくなるし、マイナスな感情を吐露したくなる。そんな弱い自分を見せるのもかまわない。
でも、やっぱり公共の場。面と向かってるのと変わらないコミュニケーションがある。だから、自分が傷ついたからといって、人を傷つけるだとか、人を誹謗中傷するだとか・・・それは人間としての品性の問題だよね。
人は期待するほど見てないけど、マイナスな部分はとっても目に入る生き物。だからこわい。はかない。もろい。
だからこそ、言霊が存在して人をプラスに持ち上げてくれる。Twitterでもリアルな現実でもそんなプラスな言霊をくれる人の方が、居心地いいよね。
優しさや楽しさが欲しい時は、自分から与えるのが先。与えもしないのにくれくれ光線が出せるのは未成年だけ。
こちらも一緒にぜひ。
Twitterで傷つかないために知っておく事
うららん( @uraright ) でした!