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【1.17雑記】阪神淡路大震災 あの日一日の記憶

      2017/02/16

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息子がアデノウイルス…私までダウン…あ、こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

忘れないために、節目の日には思い出し雑記にしようと思います。今年はあの日の記憶。

 

阪神淡路大震災から18年。あの日の記憶

私は神戸生まれの神戸育ち。神戸在住。
1995年1月17日のときは高校一年生の3学期。

神戸とはいえ六甲山の北側のため自宅付近の被害は少ない地域でした。それでも、つきあげるような衝撃とか、ありえない揺れの記憶は鮮明。家もビー玉転がるぐらいに床が傾いてました。

電気は止まり、水道も止まり。
ガスは通じてたけど、夜に街がガス臭くなったので遅れて止まりました。

父は電気工事関係の仕事だったので、地震後すぐに車で会社に向かいました。でもすぐに帰ってきた。「煙もたくさん出てるし、家がたくさん壊れてて会社に行けない」…と。
ネットのない時代。電気も止まってテレビも見れない。何がおこったのか理解できなかった。

まずは食糧確保に父とスーパーにいった。みんな並んでる。
信号も消えてる。そんな光景が衝撃だった。

私の学校は私立で家から遠い被害の大きかった地域。連絡とれないし、どうしたらいいかわからなかった。

その日のウチに電気が通じて見たテレビの向こうは本当に衝撃以外の何ものでもなかった。いつも見ている三宮が廃墟。ビルが倒壊。悲しいとかいう感情は出なかった。「なんで神戸なの…」ただそれだけ。

とにかく、繋がりにくい電話で安否確認と、テレビを呆然としながら見て、余震にビビりながら一日をすごしました。

それから学校再開まで約一ヶ月。
長い道のりの最初の衝撃の一日。

 

結論

記憶が整理ができて前に向けている自分は幸運。

記憶をたぐり残しておくことに意味があるか現時点ではわからないけれど、自分が記憶を忘れないために。そして、自分の子ども達に伝えていけるようにしておきたいと思います。

あの日一日一瞬でいろんなモノが壊れた。そこから先に進む道のりはとんでもなく長かった。大変なのはあの一瞬ではなく、そこからの歩みであることを忘れられない。記録しておきたい。

祈りをこめて。

うららん( @uraright ) でした!

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