95歳 現役バリバリ!神戸のハイカラ天体望遠鏡「たいよう」の生い立ちと使命について

神戸にある「バンドー神戸青少年科学館」
神戸っ子なら1度は遠足で来ている(ハズ)の施設です。

ここにはもうすぐ100歳を迎える望遠鏡が今も稼働しています。
緑の望遠鏡に、ドーム内装は空のように真っ青でモダンな雰囲気が神戸らしい。

メインで見せてくれるのは、私たちにとって一番身近な「恒星」である太陽。
そしてこの望遠鏡の名は「たいよう」と言います。

「たいよう」望遠鏡は、科学館ができる60年も前から神戸にありました。

大正に生まれ、昭和の戦火、平成の大震災をくぐりぬけた「たいよう」望遠鏡
その歴史についての文献をのぞくと、この天体望遠鏡がとってもいとおしくなります。

っていうか、思っている以上に歴史的価値たかいのでは・・・??と思って調べてみた。

日本初の海洋気象台のための望遠鏡だった

「たいよう」望遠鏡はイギリスから輸入され1923年に神戸海洋気象台に設置されました。

「海洋」気象台としては国内初の設置だったそうです。神戸港といえば当時、東洋最大級の貿易港として栄えていた場所でした。

天気図や暴風警報の発令に対する精度の高さが求められ、行きかう船の安全を守る役目を担うために作られたようです。
気象情報を随時実況出来るような無線設備も備えた、当時としては最新鋭の施設だったそう。
(建設費を寄付でまかなったらしいけど、海運業界にとっては死活問題だからそりゃお金だすよね)

天体望遠鏡の設置も当時としてはビックプロジェクトだったようで、5万円(今に換算すると1億5000万円)を出して世界最高峰のものを取り寄せて設置しました。
当時は日本一の口径(25センチ)を誇っていたそうです。

日本初の海洋気象台に最新鋭の無線設備に世界最高峰の天体望遠鏡。
当時、この気象台がいかに重要だったのかを物語っている気がします。

それを裏づけるかのように、1929年(昭和4年)には昭和天皇が「たいよう」望遠鏡をご覧になったという記録が残っています。

とはいえ、時が進むにつれて海洋気象台における天体観測の意義が薄れ、さらに戦争の激化に伴い天体望遠鏡を使える技術者も減っていきます。そして神戸大空襲で神戸の街は壊滅的な被害を受けました。
もちろん神戸海洋気象台のあった周辺も焼け野原に。
それでも天体望遠鏡が無事だったのは奇跡だと思う。(天体観測室のドームは焼夷弾で変形したそう)

さて、戦後の「たいよう」望遠鏡はというと1956年(昭和31年)ごろまでは観測すべく使用されていたとのこと。そこから観測する技術者がいなくなり10年ほど暗いドームの中で放置されてしまいます。

それが1967年(昭和42年)に神戸市に譲渡されることになったのは、神戸在住の天文愛好家の方々の尽力があったから。

当時の神戸に教育用の天文台もプラネタリウムもなかったことや、どれぐらいの予算があればオーバーホール(使えるように補修すること)可能かなどの資料を提出して神戸市を説得したそうです。
引く手あまたで他県に行きそうだった「たいよう」望遠鏡。神戸にいて欲しい想いが天文愛好家の方々的には相当強かったのだと思う。

「たいよう」望遠鏡に第二の人生を神戸の子供たちのために生きてもらいたいと思ったのかもしれません。

とはいえ、譲渡してすぐ「たいよう」望遠鏡は解体されて体育館で17年ほど眠ることになります。

設置してから約30年に渡り観測されてきた後、放置&譲渡解体で約30年も眠ることになるとは‥‥

そして神戸市立青少年科学館の開館に伴い、同館に設置されることが決まりました。
それが1984年(昭和59年)のことです。

そこから30数年。平成も終わりを迎える今、「たいよう」望遠鏡は今日も元気に太陽を見せてくれています。

宇宙を見て地球を知る

文献を読み出して最初の疑問は

「なぜ、気象台に天体望遠鏡が必要だったのか?」

ということ。

調べると、当時の海洋気象台の業務は5つありました。

1、海洋気象および地球磁力の観測と調査、それに必要な天体現象と地動の観測
2、海流、潮汐その他海洋における物理的現象の観測と調査
3、天気図と磁気偏角図の発行
4、気象機器および時辰儀、時計、羅針盤その他の航海測器の研究調整と検定
5、洋上船舶に対する暴風警報

天気予報を出す機関というよりも、気象と海の研究所みたいな感じで今と少しイメージが違う。

当時は、太陽黒点が地球の気象に影響を及ぼすと思われて議論がされていた時代。そのために太陽黒点を詳細に観察する必要があったのかと。

また、戦後は星のまたたきと大気乱流との関係を研究するために使われていたそう。

時代の流れによって研究対象は変化しているけれど、どちらも「地球の気象」を知ろうとしていたことは共通している。
天体望遠鏡といえば、宇宙を見るものというイメージがあるけれど、「たいよう」望遠鏡は地球を知るために使われていたことが分かります。

宇宙を知ることは、地球をもっと知ることにつながる。いまも昔もそれは変わらない。

人々の想いが望遠鏡に物語を与える

参考文献として読んだ本は、昭和59年発行。
神戸市立青少年科学館の開館に合わせて発行されたものです。

発行に関わった方々はこの時「たいよう」望遠鏡の第二の人生の幕開けを見たところ。
だからこそ本の中には「こうあってほしい」という期待のこめられた寄稿がたくさんありました。

当時の神戸市立青少年科学館コンセプトは未来志向、科学技術の最先端。
その中に60年前の望遠鏡というのは異質のような気もする。
だけど60年たっても屈折望遠鏡としては国内で三本の指に入る素晴らしいこの望遠鏡は、本当に質の良いものは時代を越えることを教えてくれる。
これは最先端の展示物には見せることが出来ない。

そんな「たいよう」望遠鏡で見る世界はきっとみんなに新しい未来を与えてくれるものだと思うのでコンセプト通りかなーと。

この本が発行されてから、30数年がたちます。

展示物も変わらないもの、変わったもの色々です。
その間に阪神・淡路大震災も乗り越えました。

でも、天体望遠鏡は変わらず太陽を見せてくれる。

太陽黒点を調査するために設置された「たいよう」望遠鏡は今も太陽と向き合ってくれています。

科学館ができた当時の期待に「たいよう」望遠鏡は応えられているでしょうか?

‥‥ってうか‥‥

「たいよう」望遠鏡の文献読んでいると歴史的価値すごいように見えるんだけど。。。
昭和天皇もご覧になった望遠鏡が普段使いされてるって凄いとおもうんやけど。。。

どうなの???

オーバーホールを担当した西村製作所は、この望遠鏡はちゃんと管理していれば半永久的に使えると言う。

まだまだ現役。

大正の終わりに生まれ、
昭和の終わりに第2の人生を歩みだした望遠鏡。
平成の時代は子供達のために元気に稼働している。

新しい元号の時代も変わらず、みんなに「未来志向」を与えてくれる存在であって欲しいなと思います。

秋晴れのような真っ青な天体観測室の中で。
ずっと。

(参考文献)
ふたたび太陽を追って ~よみがえった25cm屈折望遠鏡~
神戸市教育委員会・編